昔から日本では「一汁三菜」という、主食(お米)と主菜、副菜、漬け物(発酵食品)、味噌汁というような伝統食が当たり前とされてきました。しかし、戦後の経済が高度成長期に入るのに伴って、主食はパンや麺類に、主菜も魚主体だったのが肉類に、副菜は西洋野菜などを使用したサラダに変化してきました。
上記の円グラフを見ても分かりますように、米が半分以下になったのに対して、畜産物や油脂類は約4倍にもなっています。
昭和31年(1956年)、敗戦国として窮していた日本政府は、アメリカの余剰農産物を受け入れる見返りとして、ドル借款(ドル建てでの融資)が自由に使用できると言う協定(「米国余剰農産物に関する日米協定書等」)に調印しました。これにより、安価な小麦が大量に日本に輸入され、貧困から来る昼食欠乏も原因となり学校給食が開始され、パンが推奨されて常食となり、コメ離れへ一段と拍車をかけていきました。昭和22年(1947年)よりアメリカから脱脂粉乳を輸入することでミルク給食はスタートしていましたので、これで本格的なミルク・パン食の給食が実施されるようになりました。
お米の「国民1人・1年あたりの米の消費量」を見てみますと、昭和37年(1962年)の118.3Kgをピークに、平成2年(1990年)70Kg、平成17年(2005年)61.4Kg、平成28年(2016年)には54.4Kgにまで減少しました。
昭和30年代からは、保健所が中心となりキッチンカーによる料理講習会が行われて、試食できるというのもあり、主婦を中心に多くの人が参加しました。ここでの献立は洋食や中華料理が多く、使用された食材も小麦粉、脱脂粉乳、油、肉類等の缶詰、ソーセージ、鯨肉、卵、乳製品などで多くを占めました。
昭和32年(1957年)からは、NHKで「きょうの料理」を放送開始、この番組でも洋風の料理が多く取り上げられました。これも、カレーライスやカツレツ、コロッケなどが定番となり子どもたちの大好物となっていく大きなきっかけでした。
以上のように、戦後の占領政策と日本国内の食糧不足が複合的な原因となり、日本古来の伝統色が欧米食へと変化していきました。
健康長寿の歴史を長く持つ沖縄県も、都道府県別の平均寿命順位において平成17年(2005年)には女性は1位を維持しましたが男性は25位に転落。その後も30位、36位と順位を下げています。女性も、平成27年(2015年)には7位にまで順位を下げています。これも、豆腐や野菜を多用し長寿食とされてきた沖縄伝統食から、米軍基地の設置もあり、高脂肪・高タンパク質な洋食を食べるようになったことが大きな一因と言えるでしょう。
さらに、死因別死亡数を見てみますと、1947年(昭和22年)には結核、肺炎、胃腸炎が上位3位でしたが、2018年(平成30年)を見ると、悪性新生物(がん)が43%とかなりの割合を占め、それに心疾患、老衰、脳血管疾患、肺炎が続くと言うように、その内容は大きく変化していることが分かります。